A8 飛鳥の古墳②キトラ・マルコ・高松塚古墳

実は、キトラ古墳・マルコ山古墳・高松塚古墳の三つを合わせて飛鳥三兄弟古墳と呼ばれています。

何が共通点なのでしょうか??

この三つの古墳の石室の構造が非常によく似ているところからきています。

そしてこの三つの古墳は古墳時代ではなく、まさに飛鳥時代に作られた古墳で終末期古墳に分類されています。

三古墳の違いは、キトラ古墳と高松塚古墳の石室には有名な壁画が描かれていますが、マルコ山古墳には壁画が描かれていません。

又、キトラ古墳と高松塚古墳に関しては『被葬者は誰か?』と多くの説が誕生していました。

そんな飛鳥三兄弟古墳を全て見て回るコースです。

 

尚、キトラ古墳近くの『四神の館』は2016年9月オープンで展示内容やビデオ放映も充実しています。

ゆっくりとご覧下さい。

マルコ山と飛鳥駅近辺は詳細図を付けています。ご参考に。

尚、壺阪山駅から束明神古墳を抜けてマルコ山古墳に向かうこともできます。

こちらはどなたかガイドさんとご一緒の方が・・・。

雑学その1.飛鳥三兄弟古墳の石室の構造を横口式石槨といいます。

5世紀後半頃から7世紀半ば頃にかけて大規模古墳の石室の構造は『横穴式石室』でした。

7世紀後半頃から上図の右側のような『横口式石槨』が登場してきます。

今回のキトラ・マルコ・高松塚古墳は上図でいえば『横口式石槨のE型』に分類されることになります。

そして、皆様がご覧になったことのある『鬼の俎』と『鬼の雪隠』は二つを組み合わせて『横口式石槨のC型』となります。

※もう少し解説すれば、現在の鬼の雪隠と組み合わされる俎に相当する石材は橿原考古学研究所附属博物館の庭にあります。かつて俎はもう一つあり、割られてどこかのお庭に運びこまれていたようです・・・。

そして、キトラ古墳・マルコ山古墳・高松塚古墳は古墳時代の最後を飾る古墳で『終末期古墳』に分類されます。

この言葉は高松塚古墳が発見され、従来の古墳と違った特徴がたくさんみつかったことから名付けられました。

その特徴とは

キトラ古墳です。

四神の館周辺の整備地です。


高松塚古墳です。

マルコ山古墳です。


飛鳥三兄弟古墳はいずれも『7世紀後半~8世紀初頭』の築造といわれています。

それでは、三兄弟古墳の被葬者を考えてみましょう。

写真ではよくわかりませんが墳丘の大きさは下図のようになります。

それでは三古墳の被葬者は誰でしょう。候補の一覧表です。皆様の推理は???

表の中のA:天智天皇の娘、B:地元豪族の娘、C:地方豪族の娘となります。

他にも渡来系の王家の人や族長を挙げる方もおられます。

2017年5月12日放送のNHK歴史ヒストリアでは結構マジな分析で推論されていました。

答えを見たくない方はここをスルーして下さい。少し下のところにNHKの推理を書いておきます。

 

 

 

 

 

 

 

NHKの推理

高松塚古墳の被葬者は『忍壁皇子』

キトラ古墳の被葬者は『高市皇子』

でした。